りんごのうえん

反資本主義、反家父長制

不確実性の中に生きる

この間何をしていたかというと、主にTwitterで社会問題への考察や、生活においての所感などを綴っていた。長文考えなくてよくて、RT機能などもあり、あれはあれで便利なツールだ。しかしやはりSNSにもデメリットがあって、“人付き合い”が面倒臭い。
SNS、思い立った時にパッと書ける気軽さがあるけれど、でも投稿したくてもリプライに返事してないと躊躇してしまい…(リプライに必ず返事をしなきゃいけないわけでもなく、返信のタイミングも本来いつでもいいものなのだが)このへん変に他人の顔色を窺ってしまうクセがまだ抜けていないと感じる。健全な自己肯定感を育むのは、長い時間をかけたチャレンジだ。

心機一転、言論の場をブログに移してみようかななどと考え、今この記事を書いている。
実は当ブログ、最初は「徒然なるままに」日常生活について、面白おかしく綴ってみようという目論見のもと立ち上げたブログである。だからプロフィールがこんなにふざけているのよ。

しかし、今までの更新も少ないだろう、そうだろう。当ブログ開設当初は「うつ真っ盛り!」な時期であったため、長文を書くことに結構な困難を伴っていたのだ。今は、前よりマシになっている。私はもともと文章を書くのが好きである。

実は昔、某モバイル小説サイトでエッセイを綴っていたことがある。このブログはそれの延長でやっていこうと思っていた。

今の私には、政治や社会について持論を語る場が欲しい。
他のブログサービスやnoteなどの解説も考えているが、このブログも少し経路が変わるかもしれないし、今こんなこと書いておながら「やっぱブログって面倒くせえ」ってなって、全然更新しないかもしれない。先のことは私自身にも分からない。

人間の未来は不確実であり、ADHDの特性を持つ私は特に不確実である。
不確実性の中で、それでも確かなものを胸に生きて行く。