りんごのうえん

反資本主義、反家父長制

『ラブライブ!スーパースター!!』感想

以下、Mediumに上げた文章の転載です。


ラブライブ!スーパースター!』を観ての、ざっくりとした感想です。以前Twitterに上げたものを、加筆修正してみました。

ラブライブ!スーパースター!!』は、歴代ラブライブシリーズの中でも一番冷笑仕草と同性愛蔑視がキツくて反動的な作品だっという感想です。

以下、観ていて「これ反動的だな」と思ったシーンを抜粋。

・1期2話。生徒会長の葉月恋にスクールアイドル活動を禁止され、唐可可が抗議のために立ち上がる…

が、可可がデモや立て看で抗議する姿に対して冷笑的な描き方をしている。

(可可に対して冷ややかな眼差しを向けるのが主人公の澁谷かのんを通してなので、メタな視点で見ると大人によって子どもが分断されるというよりグロテスクな構造が明らかになっている感じ)

日本社会では現状の体制に不満を持ち声を上げる者に対して冷笑の眼差しが向けられがちなのだけど、この作品でもそれが踏襲されていた。

より露骨な冷笑しぐさが描かれていたのが1期7,8話

・音楽科と普通科で明らかに扱いが違う(校内で差別の問題がある)ことに対し普通科の生徒が抗議するシーン

抗議した側の生徒が厄介者として描かれているんですよね。

これは日本社会で、差別を訴えるマイノリティが厄介者扱いされやすい構図そのままだな、と。

また、この差別問題に関して作中で解決策として提示されていたのが「差別する側にも理由がある」というような締め括りも残念だった。

本編ラストで、本編強硬な態度で差別煽動の急先鋒に立っていた独裁者:葉月恋にも事情があったことがわかり、それまで彼女と対峙していた澁谷かのん、唐可可、嵐千砂都、平安名すみれが情にほだされ和解するというオチが描かれた。

これは非常に問題である。

(葉月恋は、差別問題を解消するという公約を掲げ生徒会長選挙に立候補したが、当選してからは公約を破り、独裁の色を強めていた。この時点で「独裁者」と形容しても問題は無いと思われる。また、普通科生徒にとっては「代表なくして統治なし」の原理原則が適用されていない状態だった)

差別は意図の問題ではない。

まず差別的な構造が社会にある。その社会の中で、差別的な制度や言葉が、どのように機能するかの問題である。

したがって、葉月恋にたとえどのような事情があろうと、普通科生徒への差別的な政策の数々は許されざるものなのである。

ただ、葉月恋が極悪人というわけではない。

差別意識は、この社会に生きる人間は誰もが内面化してしまっているもの。差別発言やマイクロアグレッションをしたことのない人間はいないだろうし、たとえば生徒会長など何らかの権力を身につければ、自分の差別的な振る舞いが周囲に与える影響は大きくなる。

その意味でも、葉月恋の今までの行いを個人的事情でなぁなぁに済ませるのではなく、きちんと「差別はダメだ」という原則に立って反省する描写が必要だったと思う。人は過ちをおかしたあとに、どのように反省するかが誠意を問われる場面だ。

「差別する側にも事情がある」というのは、わりと日本的な通俗道徳だとも感じる。

女子高校生を分断させる描写をえがき、その解決策として「(根本の社会構造は無視して)とにかく皆で仲良くしましょう」という唾棄すべき通俗道徳を出してくるあたり、制作陣が何を向いてアニメを政策しているかが分かりやすいのではないだろうか。

体制批判はせずに、個人の気の持ちようの話に終始する。

体制を批判する側が、厄介者扱いされる。

これがEテレで放送されたことも含めて、日本の支配体制のプロパガンダ作品のように見えてならない。

次、同性愛蔑視について

・1期9話(だったかな、うろ覚えゴメン)学校のPCでアダルトサイトを観てしまった登場人物がうろたえるが、そのアダルトサイトというのが女性二人の表象に「禁断の世界」と文字が入った扉絵のもの。

・2期7話。葉月恋と米女メイ(二人とも女子高校生という設定)が

付き合っているんじゃないか?と他のメンバー間で噂になるが、そのときに登場人物の1人である嵐千砂都が言ったセリフが「禁断の世界だ!」(ちぃちゃんにこんなこと言わすなよ、制作陣)女性同士が付き合っていたら「禁断の世界」って、今どきそんなのアリかよ…

で、こんな同性愛蔑視を垂れ流すアニメのエンディングが「百合いちごリレー」だし、公式CP扱いされるメンバーもいるんですよね。百合萌えは狙っておきながら「あくまでそれは禁断の世界だから…わかるよな? わきまえろよ?」みたいな扱いってクィアベイティングだよね…

また、この『ラブライブ!スーパースター‼』と放送年月の近い『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』を比較してみると、【日本社会でフンワリと消費されがちな”多様性” を意識してみたアニガサキ、その反動としてのスーパースター】といった構図が浮かぶ。