りんごのうえん

反資本主義、反家父長制

百合営業は、もうたくさん。

ヘイトスピーチを引用して、批判しています。閲覧注意してください。

 

このニュースを見て、正直、またかという気分になっている。

www.sponichi.co.jp

 

毎年、同じような'炎上'を見ている気がする。これがデジャヴであってくれたなら、どんなに良かったことか。

ファンの擁護も酷い。
上記リンク先のスポニチ記事にも

“ファンからは「僕はびっくりしましたがほっこりしましたよ」「個人的には『仲いいんだな~』としか思わなかった」「なんで怒られてるのか謎」「全くもって不快になんて思ってません」「むしろ仲が良くて微笑ましいくらいだと思った」「そんな言葉は気にしなくて大丈夫ですよ!」「エイプリルフールに冗談も言えない世の中」「謝る必要性を感じない」との声が寄せられている。”

と、ある。

マイノリティの当事者ではない人が、ネタとして消費できる社会構造が問題なのだ。しかしマジョリティは社会の構造や自分の特権といったものには向き合わず、ただマイノリティを消費して、お祭り騒ぎしたいだけのようだ。

私が本件をTwitterで批判したら「あなた方みたいなのがいるから余計に差別を産んでいるんですよ」などと言ってきたアカウントもあったので、私の引用コメント付きで紹介しておく。

 

一方、日刊スポーツの方には批判のコメントも載せられていた。

 

なぜ、女性の同性愛はこのような消費をされやすいだろうか。

背景に、社会の女性蔑視、同性愛蔑視、女性同性愛蔑視があることは間違いないだろう。

異性愛や男性が中心の社会で、同性愛や女性は周縁化される。女性同性愛と男性同性愛で扱いが異なるのは、男/女のジェンダーによる不均衡があるためである。

女性の性的主体性が無視されがちな社会では、女性間の性愛や性行為も客体化される。

女性の同性愛は、家父長制やヘテロ男性にとっては、あくまで取るに足らない存在であると思われているのだ。

今回、女性声優二名がこのような’ネタ’ に走った背景には先ほど述べたような性差別の構造があり、更に、それに乗じて女性のアニメキャラや女性アイドルたちに百合営業させる日本のエンタメ業界の問題もあると思う。

 

百合営業の問題についてはこちらの記事や、こちらでも触れているが(そして、まだまだ批判を書ききれていないので、今後もどしどし書き足すつもりだが)正直「またか」と、ウンザリしている。女性の性的主体性が蔑ろにされる表現や、女性の性愛が取るに足らないものだという表現が、日本社会には満ち溢れすぎている。

 

百合営業というクィアベイティングに慣れきった日本のエンタメファンが、女性の同性愛関係をネタとして扱った声優のツイートを面白がるというグロテスクな構図。あまつさえ、声を上げる当事者を「差別の元凶」呼ばわりする者さえも現れるのだから、逆張りもよいところである。

 

この社会では、女性はあくまでも客体化されがちな存在である。男性以外のジェンダーの人は客体化されがちである、と言ったほうがより適切かもしれない。

社会から客体化されがちな女性同士の性愛は、取るに足らない存在であると思われがちだ。男性の同性愛が家父長制社会を脅かす存在であるかのように脅威されることとは対照的に、女性の同性愛は無視してもいい存在だと思われている。端的に言うと、ナメられている。

女性同士の性愛は、家父長制からたっぷりと恩恵を受けられる人たちが安心して楽しめる'ズリネタ'扱いだ。

女性同士の性愛をズリネタ扱いするのは、シスヘテロの男性だけではない。

今回のように、女性(として扱われている人)ですら、安心して消費できるネタであるかのような扱いをする。

 

私は、GLや百合が大好きだ。しかし、女性同士の性愛がネタや客体としてしか扱われず、そのことへの批判すらも許されないのであるならば、もう百合萌えなんか要らないと思う。

 

※「女性の同性愛当事者」という中には、女性を性的指向に含むバイセクシュアルやパンセクシュアルの女性も含まれます。「女性の同性愛当事者=女性同性愛者、レズビアン」ではないことに留意してください。バイセクシュアルやパンセクシュアルも、周縁化されてしまいがちな属性です。