りんごのうえん

反資本主義、反家父長制

禁煙と、珈琲/紅茶の嗜み方の変化

最近、珈琲を1ℓペットボトルで買うようになった。
一日に一杯、120㎖飲むとしても10日間持つ。
ペットボトルはスーパーで100円以内で買える。
これはお得だ。

以前は、珈琲に一日100円以上かけていた。
コンビニコーヒーも美味しいが、買うと100円以上。
茶店に行くと、安い店でも300円近くかかる。

それでも昔は喫茶店で珈琲か紅茶を飲むことが多かった。何故かというと、煙草を吸っていたからである。

賃貸の自室ではゆっくり煙草を吸えず、住宅密集地の外で吸うのもダメだと思い、喫茶店に行っていた。喫煙をしていると、煙草代以外にも、こういう副次的な出費が痛かった。

禁煙し、あれは本当に暴力的な習慣だったと身に染みて実感した。もう強制副流煙&三次喫煙加害マンにはなりたくない。過去の所業を反省するばかりである。

禁煙してよかったことは色々とある。それはまた別途、機会を設けてブログに綴りたい。

禁煙して珈琲や紅茶との付き合い方も変わった。もう、珈琲や紅茶を飲んでも煙草を吸わなくていいのだ。だから家でも安心して楽しめる。結果、安く上がるのだ。

禁煙のカフェにも行けるようになった。喫煙していた頃には絶対に遠慮していた場所だ。カフェで禁煙なんてありえないと思っていた。今は、喫茶店含め全飲食店を禁煙にするべきだと思っている。

珈琲にこだわりのある禁煙カフェに行くことができたときも、自分としては感動だった。周りも煙たくなく、珈琲の香りを楽しめる。煙草の味に惑わされず、純粋に珈琲を楽しむ。「禁煙のカフェなんて気取ってる」くらいにまで思っていたのが、別にカフェは全然気取ってなんかおらず、ただ煙草に依存させられ、認知も歪められていたのだった。

禁煙して、最初に紅茶を飲むときは緊張した。喫煙誘因だったからだ。珈琲や紅茶を飲むと絶対に煙草を吸いたくなった。いや、むしろ煙草を吸うために珈琲や紅茶をお伴にしていた。

恐る恐る飲んだコンビニで買ったリプトンミルクティー、涙が出るほど美味かった。本当に涙が出たのである。「こんなに美味しいのに、今まで煙草の引き立て役としか思っていなかったなんて」と。

禁煙してからは、甘いミルクティも以前よりは飲まなくなった。微糖か無糖の珈琲、紅茶でよい。甘くて牛乳の入った飲み物がよかったのは、あれは煙草に合わせてのことだったのだ。

禁煙して色んな習慣が変化したが、珈琲と紅茶の嗜み方も変化した。

まだ喫煙欲求があるが、引き続き、再発することのないよう努めていきたい。

不確実性の中に生きる

この間何をしていたかというと、主にTwitterで社会問題への考察や、生活においての所感などを綴っていた。長文考えなくてよくて、RT機能などもあり、あれはあれで便利なツールだ。しかしやはりSNSにもデメリットがあって、“人付き合い”が面倒臭い。
SNS、思い立った時にパッと書ける気軽さがあるけれど、でも投稿したくてもリプライに返事してないと躊躇してしまい…(リプライに必ず返事をしなきゃいけないわけでもなく、返信のタイミングも本来いつでもいいものなのだが)このへん変に他人の顔色を窺ってしまうクセがまだ抜けていないと感じる。健全な自己肯定感を育むのは、長い時間をかけたチャレンジだ。

心機一転、言論の場をブログに移してみようかななどと考え、今この記事を書いている。
実は当ブログ、最初は「徒然なるままに」日常生活について、面白おかしく綴ってみようという目論見のもと立ち上げたブログである。だからプロフィールがこんなにふざけているのよ。

しかし、今までの更新も少ないだろう、そうだろう。当ブログ開設当初は「うつ真っ盛り!」な時期であったため、長文を書くことに結構な困難を伴っていたのだ。今は、前よりマシになっている。私はもともと文章を書くのが好きである。

実は昔、某モバイル小説サイトでエッセイを綴っていたことがある。このブログはそれの延長でやっていこうと思っていた。

今の私には、政治や社会について持論を語る場が欲しい。
他のブログサービスやnoteなどの解説も考えているが、このブログも少し経路が変わるかもしれないし、今こんなこと書いておながら「やっぱブログって面倒くせえ」ってなって、全然更新しないかもしれない。先のことは私自身にも分からない。

人間の未来は不確実であり、ADHDの特性を持つ私は特に不確実である。
不確実性の中で、それでも確かなものを胸に生きて行く。

初めてのボディスーツ

三十三間堂にして、初めてボディスーツなるものを着てみんとす。先日通販で安く売っていたのを手に入れたのである。ボディスーツ…それは「おばさん」のイメージ。ふくよかな体型の母が、一生懸命ベージュの鎧に肉を固めていた姿…それが私の、ボディスーツの原体験だ。折しも、私が通販で頼んだ「ソレ」も、ベージュ色であった。

まずは手に取り、しばし観察。
私はお試しということで、ノンワイヤーのものを買ったのだが、それでも形状記憶がしっかりしている。しかしながらストレッチはきく。安いながらに刺繍も可愛く、縫製が甘いのはご愛敬。この値段であれば仕方が無い。私が求めているのは、とにかく「肉襦袢をしっかりホールド」、この機能だけである。
しげしげと眺めた後、いよいよ身を固める時。
股部分がフンドシ様のハイレグとなっており、下から履こうとした時に
「あっ…」
股部分にボタンが付いているのを見付けた。プチっと外す。お股の部分がコンニチワ。
どうやらトイレの際、そこのボタンを外して要を足すようだ。股部分の布がブラブラするので、トイレにドボンしたり、排泄物を付着させちゃったりする未来がうっすらと見え…いかん、そうならないよう。気を引き締めてトイレに行かねばと覚悟を決める。

「…これは…どうやって着るんだ」
さすがお堅いものだけあって、一枚岩ならぬ一枚ツナギとなっている。頭から被るか、脚の方から通して履くか迷うこと請け合い。あいにく、取扱説明書的なものも本商品には添付なし。
お股部分がオープンしたことにより、上から被れそうな気もする。そうだ、ウエスト部分が通りづらそうだ。上から行ってみよう。
「…!?!?!?!?」

き、キツい。肩紐が片方は通っても、もう片方が通らない。私の身体が硬いのか?いや私は人より身体は硬いが、まさかこの普通に市販されているボディスーツ、身体の硬い人には着れぬというのか!それとも、これを着るためには、マリック伊東並みの芸当が必要なのか。選ばれし者だけが着ることのできるモビルスーツ…。

悪戦苦闘すること約十分、ふとある重大なことに気付く
「ウエストは肩幅より狭い」。
下から履くんじゃんねー、やっぱりねー、もー、なんて、照れ隠しに独りごちりながら下からの再挑戦。
しかし、やはりキツい。いくらウエストが肩幅より細くても、鎧を通すのは至難の業。「ふんぬっ」「んがあっ」「ふんっ」などと、声にもついつい力が入る。
苦節十分、さて着ると、お腹部分など最近ブヨブヨだった部分がスッキリとおさまっている。肉襦袢は鎧の下に仕舞い込まれた。
「やったー!着れた!初めてのボディスーツだ!」と喜び勇み、意気揚々と鏡の前に立ってみると、果たしてそこにはかつて嫌悪していた母親とそっくりな、ベージュの鎧が「おばさんくさい」自分の姿が映っていたのであった。また一つ、大人の階段を登って経験値を上げましたよ、母さん。

次はセパレートタイプのものを買ってみよう。

水商売哀歌/哀しきシャンパーヌ

水商売は、一にも二にも抜き物だ。

抜き物-それはワインやシャンパンといった、開けたら飲みきる酒のことだ。

栓を開けることから抜き物、と呼ばれたのであろう。

この抜き物、飲み切りでキープ出来ないために、水商売の店では短期売上増要員として非常に重宝される。

店のイベントで抜き物、ホステスにシュワシュワが飲みたいと言われ抜き物、ホストに売上に貢献しろと言われて抜き物だ。

ちなみにホストクラブでは、リシャールといったお高いブランデーも短期売上増員として徴兵される。

もはや抜き物が金になっているのだ。

 

ワインやシャンパンを作っている人たちは、まさか自分たちの作ったお酒が日本では金のように扱われ、大半は味わうこともなく消費されているなどと思うまい。

味わって飲むもののはずが、金に換わる物として、大量に消費されているのだ。

ワイン農家や酒造者の人が聞いたら泣くのではないか。

ホストクラブでなんか、ビンダといって、シャンパンの瓶ごと一気飲みするらしい。

そんな飲み方は、本来は想定されていないはずだ。

 

いくら酒が好きな者でも、毎日のように売上のためにワインやシャンパンを飲んでいたら、嫌にならないだろうか。

もうバブルもとっくにはじけたことだし、こんなアホな飲み方そろそろ止めないか。

シャンメリーなんてどうだろうか。アルコールを大量にガブ飲みするのは危ないから。

都議選

2017年の梅雨の時期、都議選が始まった。

気圧・寒暖の差で体調を崩し、ジメジメとした気怠い空気も相まって鬱々しく自宅で過ごす毎日の中、外出しなくても街頭演説や選挙カーの音が、築数十年のボロアパートの一部屋である我が家にも否応なしに飛び込んで来る。今や昼夜逆転の生活になっており、立て直したいと思いつつも昼間に惰眠を貪る民と化している私には、昼間の選挙活動の喧噪は鬱陶しく、「次に賃貸物件を探すときには、選挙時に煩くならなさそうな立地を選ぶのもアリかな」なんて考えたりする。

私が今まで賃貸物件を探す際に重視してきたのはまず交通の便を重視して、駅近。駅から徒歩3分圏内がベスト。そして治安を考え、細い路地道を入るような場所は避け、なるべく大きな通り沿い。しかし駅近の大通り沿いだと、どうしても喧噪は切っては切れないもの。今の場所はアパート前の大通りを数百mも行けば飲み屋街もあり、夜は酔っ払いも煩い。例えば「閑静な住宅街」といった、あまりに静かすぎる住環境も私にとっては鬱々としてしまうが、程度問題だろう。

しかしー次に引っ越す時に、今まで通りの選挙なんて期待できるのだろうかーと、ふと考える。安部首相は改憲を急いでいる。共謀罪も施行される。次に国政選挙がいつになるかは分からないが、その時に、はあちこちで政権批判をしている私は共謀罪でしょっ引かれて獄中に居るかもしれない。安部首相は9条に的を絞った改憲にするとしているが、自民党改憲案には基本的人権の大幅な制限や緊急事態要綱も盛り込まれていて油断ならない。

安保法案が強行採決された時にも「民主主義は死んだ」と言われた。共謀罪強行採決された時にも「民主主義は死んだ」と言われた。だが、今こうして都議選を迎える中、「投票権」は生きている。安部政権の暴走、政治の私物化ーそういったものに「NO」という民意を示すこと。そして、首都東京の政治の場に、堂々と自公政権に対抗できる議員を送り出すこと。これらはまだ、主権者である私たちの手に残されているのだ。民主主義はまだ死んでいない。死なせてなるものか。殺されてなるものか。

かつて投票権を得るために闘った人たちのことのことも考え、今日本が直面している事態を鑑み、一票の重みを胸に、選挙に行こう。

そして、共謀罪が施行されても、脅えて口を噤むことなく、堂々と自分の意見を主張し、闘って行きたい。共謀罪を廃案、もしくは変えるような法案を国政で提出してもらいたい。

そう考えを新たにする梅雨時期の都議選である。

鬱陶しい天気の後には、必ず爽やかな晴れの日が訪れると信じながら。

 

求人誌を見ての所感と器用貧乏。

求人誌を見ていた。駅で貰ったフリーペーパーである。

その求人誌に記載されている時給の、あまりの安さに目が眩んだ。

東京都内で時給1,000円とかで、どうやって生活して行けというのだ。しかも大手の金融機関の事務などが時給1,100円とかだ。しかも私がよく利用している金融機関。ユーザーとしても、「そんな安い時給で雇って、個人情報とか大丈夫?」って心配になる。自分も昔は金融系で働いていたが、時給1,100円程度で金融機関のコンプライアンス等色々と厳しい事務なんかやってられない。

自分は発達障害などがあり、精神障害者手帳を持っているので、最近は障害者枠雇用の求人をよく見ていた。障害者枠の求人は、まあ安い給料の求人が多く、「障害者年金ありきの給料だろ。障害者年金だって貰えない場合もあるのに、障害者バカにしてんのか」って腹が立つ。

しかし私が今日見ていたのは、いわゆる一般の求人のフリーペーパー。

しかしだな。一般枠でも時給の安さ、障害者枠と大して変わらん。一瞬、「障害者枠の求人誌?」と錯覚した。

非正規雇用はかくも厳しい。

内需が冷え込むのは当たり前だ。労働者層が主な消費者層なのだから、労働者にカネと時間を与えねば、日本は潰れるばかりなり。

そりゃ経済的余裕も無くなって、判断能力も低下して、メルカリで「お魚のオブジェ」などを売ってしまう輩も出てしまうわけだ。

貧困は治安の悪化の一因でもある。その一端が、昨今メルカリで見られた「現金売りのイタチごっこ」であり、「お魚のオブジェ」なのではないだろうか。私はそんな風に感じた。

メルカリは私も一応アカウントを持っている。暇なときに眺めていると、「お魚のオブジェ」とまではいかなくても「こんな物まで売れちゃうの?」なんて商品がたくさんあって、面白い。

私も生活が楽では無いので、物を捨てるくらいならメルカリで売りたい。しかしあれは、売りたい物を写真に撮り、その商品の説明書きも自分で考え、買い手が決まれば梱包し発送…と、非常に手間がかかる。細かい性格の人でないとなかなか出来ない。

自他共に認めるズボラテキトーりんご人間の私には、なかなか難しい所業なのである。

その手間賃として、幾ばくかの小銭を得るか……小銭になりそうな物は家に色々とあるが……手間賃として見合う対価が得られるかどうか…。

うん。貧乏するにも、細かいことが得意な性格の人の方が、色々と得だ。手先が器用だったり、細かい事務手続きなどが苦にならない生活だと、節約も捗る。節約の参考に「主婦の友」や「オレンジページ」などを見ていたが、節約料理や節約工作などは、とても自分には出来そうにない。

髪を染めるのもネイルをするのも、自分で出来たら安上がりじゃないか。

「器用貧乏」などというが、私は器用な貧乏人になりたい。いや、欲を言えば金持ちになりたい。というわけで、温泉か石油でも掘り当てたい。

しかし金持ちになったら、ブログがつまらなくなりそうだ。そもそも私の文章が面白くない、という批判は別にして、金持ちのキラキラした生活なんか、誰が面白がって見るだろうか。フェイス●ック、お前だよ。なんてね。あれはいかに自分がリア充かアピールするSNSだ。インス●もそんな感じか。

昔は庶民的で面白かったエッセイストが、売れて金持ちになって、買い物自慢のエッセイとか書き出して面白くなくなったなあ。

ああ、しかし金は欲しい。金持ちになりたい。

とりあえず就労移行支援を頑張ろう。何か一儲けできそうなアイディアは、いつ何時でも考えている。

アレルギー

私は色々なアレルギー持ちである。

花粉はイネ、ブタクサ、ヨモギ、シラカバ、スギと、軒並み持っている。

他にも金属やら動物やらとアレルギーがある。

そんなアレルギーだが、今回特筆すべきは交差アレルギーについてだ。

「シラカバの花粉アレルギーがあると、バラ科の植物のアレルギーが出やすい」と聞いた。

ソースは無い。

りんごがバラ科の植物だったかも記憶が定かではない。

目の前の便利な箱ですぐに調べたら分かるはずだが、その労力を惜しんでこの記事を書いている。私はこういうダメ人間だ。

とにかくこの記事で言いたいのは、「りんごが好きだからと言ってりんごを食べ過ぎるとアレルギーが出やすくなるので、食べ過ぎないようにしよう」ということだ。

自身の前例として、メロンを食べ過ぎて既にメロンアレルギーになっている。幼少時、親戚がメロン農家をやっており、毎夏段ボールいっぱいにメロンが贈られて、毎日食べていた。

大人になり、自分でメロンを買うなどという贅沢な生活からは遠ざかっていたし、お中元やお歳暮でメロンが贈られてくるというような身分になったこともないが、ある日、誰かの結婚式か何かでメロンを食べたのだ。そしたら喉が痒くなった。

それ以来、メロン果肉、果汁、ペーストが少しでも入っているような食べ物ですらメロンアレルギーを起こすようになった。この前など、メロンペースト入りの少しお高めなメロンパンを食べてしまい、喉と口内の痒みで悶絶した。やはりメロンはダメだったようだ。

「りんごのうえん」と称した本ブログの最初の記事がメロンアレルギーの話がメインとなってしまった。しかしまあ、「この記事で言いたいことはりんごも好きなので食べ過ぎないようにしよう」ということで無理矢理締めて、記念すべき初投稿を終わりとする。以上。植木不比等でした。

 

【追記】りんごを食べ過ぎるとりんごアレルギーになる、というのは不確定情報である