りんごのうえん

反資本主義、反家父長制

映画『マイ・フェア・レディ』所感。憧れのオードリー

オードリー・ヘップバーンの姿を観ることだけで耐えた173分間。

 

マイ・フェア・レディ』の批評なんて、今さら私がしなくても、全世界で既にし尽くされていると思うので、あえて書いていませんでしたが、昨日ふと「観てて辛かったな」と思い出したので、吐き出しますね…。

 

まず、年配男性でアッパーだかアッパー・ミドルだか階級のヒギンズ教授(イギリスの階級制度について詳しく解説している本を読んだりもしたけれど、彼の階級を私は失念してしまった)が、貧困層若い女性であるイライザの言葉や仕草を”矯正” して社交界にデビューさせる、という筋書きからし植民地主義権威主義、家父長制の構図です。

こういった筋書きなので、当然のように身分差別、階級差別、女性蔑視、労働者階級・貧困層への蔑視や偏見などが随所に現れますが、それらの差別への批判や、社会構造への疑念といったものは描かれません。諸々の差別がある社会構造を、そのままなぞって映し出しています。

差別構造に対して批判の声を上げてもいいという当たり前のことがようやく社会に浸透してきた現在では、この脚本を上映するのは難しいだろうと思ったら、『マイ・フェア・レディ』が昨年もアメリカやイギリスで舞台上演されていることを知って驚きました。数年前まで、日本でも舞台をやっていた。さすがに脚本は手直しされていることを祈ります…。

とにかく映画の内容はクソでした。オードリー・ヘップバーンを鑑賞するためだけに耐えました。

オードリー・ヘップバーンは表情をくるくる代えて、観ている人を引き込むような演技をするし、’花売りの娘’ から’外国の貴婦人’へ変身を遂げる様子も上手く演じていると思うんですよね。イギリス英語も色々で階級や出身地によってアクセントや使用単語が違ってくる、というおぼろげな知識はあるのですが、イライザの言葉使いの変遷などはさすがに聞き取れませんでした。英語がよく分からなくても、オードリー・ヘップバーン演じるイライザの魅力は、よく伝わってきます。

この、大英帝国バンザイで鼻持ちならない保守映画が人気なのは、間違いなくオードリー・ヘップバーンの魅力がゆえでしょう。

それゆえに、イライザがヒギンズ教授やその仲間から実験台みたいに扱われるのは、観ていてキツかったです。

貧困層であり、女性であるイライザだからこそ受ける差別でした。

ヒギンズ教授などミソジニスト男性だと思いますが、同じ階級の女性相手にはもうちょっとマシな態度を取りますからね。

 

同じオードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』も君主制が無批判に描かれている映画ですが、もう少し女性の主体性が描かれているように思います。

アン王女は王族という特権階級であるからこそ、貧困層の花売り娘であるイライザよりも主体性を描きやすいのだと思います。

お恥ずかしながら『ティファニーで朝食を』は未鑑賞なのですが、描かれているのがセックスワーカーの女性ということで、どんな酷い描かれ方をしているのか覚悟して観なければならないように感じました。

 

ローマの休日』は、映画の中でローマの観光名所をあちこち回るので、オードリー・ヘップバーン以外にも鑑賞する楽しみがありましたが、その点『マイ・フェア・レディ』は殆どがヒギンズ教授の邸宅内での話なので、風光明媚な背景を愛でるという楽しみ方もできません。

 

内容がクソで、主演俳優だけが良い、というのはレトロ映画あるあるな気もします。

あと、製作の環境が酷かったみたいですね。

昔の映画は出演者やスタッフを過労状態でこき使って撮影していたということを考えると、あまり観たくない気もします。(『オズの魔法使い』の制作現場でのジュディ・ガーランドの扱いの酷さとかね)

社会の構造も、映画の製作現場も、より良いものに変えて行かなければなりませんね。

 

ドラマ『プリティ・リーグ』←邦題がクソだけど、面白かった。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B13WR5TV/ref=atv_dp_share_cu_r

この年末年始に観て、とても面白いと思った作品。

1940年代の全米女子野球リーグを舞台にした作品なのだけど、今よりも確実に女性が野球をしづらかったであろう時代の話。

黒人女性と白人女性では被差別体験が異なることが、きちんと描写されていた点が◎

 

 

クィアな役も当たり前のように描かれていて、嬉しい。

当時は警察がゲイバーへを弾圧していて、遊びに行くのも危険だったと分かる描写がある。

ダーシー・ガーデン演じる(たぶんレズビアン役の)グレタ・ギルが、性的指向を隠すために男好きを装っているところとか、黒人ピッチャーのマックスが男性とセックスしてみたけれどイマイチだったとか、そういう描写が、レズビアンの私にとってはリアルだと感じました。

 

インターセクショナリティをきちんと描こうとしている意欲的な作品です。
コメディなので気軽に観れると思います。

二期が楽しみですね!

 

 

映画『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』批評 ※ネタバレあり※ 辛口 ⚠性暴力事件に関しての言及あり

⚠性暴力事件に関しての言及があります

私は、そこまでたくさん映画を観ているわけでもない。

映画館に頻繁に行くわけでもない。

表題の映画を観に行く前に映画館に行ったのは、2020年初頭に『パラサイト』を観に行ったときだった。

この3年間はコロナ禍もあったが、平時でも3年くらい映画館に行かないことは、ままある。

そんな私が、3年ぶりに映画館で観た映画がアイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』だった。

 

しかし

「これ、アイカツか?」

 

ペラペラな内容でしたね。

あまり映画を観ない私にとって、ここ20年でも下から数えたほうが早いくらいのワーストな映画体験でしたよ。主に気になった点は以下の3つ。

 

A.まず、キャラが薄い

B.あと、演出がいちいち古い

C.そして何より、ジェンダーとかセクシュアリティとか

それでは、順番に見ていきましょう。

 

 

A.キャラの薄さについて

登場キャラをSoleilの3人、かえで、ユリカ、らいち、美月さんに絞っているのだから、一人ひとりのキャラの描き方にもう少し厚みが出せたはず…。

アイカツ!』、アニメ本編では登場人物が悩みながら成長する姿が描かれていたけれど、この映画ではそういう描写は無かった。

「成長」ではなく「再会」がテーマだとしても、順風満帆にキャリアを積んだ3人が再び出会います、というだけの話なので、何というか、こう、「もっとあるだろ」みたいな。

ストーリーとして、物足りないように思いました。

 

あまり英語の得意ではないいちごに英語を習っちゃうほど英語の苦手そうなあおいが、よりにもよってアメリカの大学に進学し(たぶん英語で高等教育を受けるであろうに)そこまで労した様子もなく、ストレートで卒業できちゃうし。
(アニメ本編では、あおいがアメリカの大学を目指している様子は無かった。まぁ、劇場版になって設定が変わるのは仕方ないけど、それならそれで映画中に「大学では英語で苦労したよ」とか「実は高校時代は密かに英語の猛勉強をしたよ」とかの描写があれば、説得力が増してキャラの厚みも出ると思うんですけど。」)

いちごはずっとトップアイドルとして君臨しているようだったけど、ずっとトップであり続けることの苦悩とかは描かれていなかったし。
(まぁいちごに関して言えば、アニメ本編でも超人的に描かれていて、ある時期以降は内面を掘り下げる描写が少なくなっていたように思いますが)

蘭も特に悩むことなく、順調に役者としてのキャリアを積んでいるようだったし。

だって、蘭ですよ? さんざんキャリアや仕事について悩んできた蘭ですよ?
中学生時代は、子どもの頃からずっと続けてきたモデル業についてすら悩んでいた。Tristarの時も、すごくキツそうだった。恵方巻を作ったときも、自分らしさを出していいのかどうかすごく悩んでいた。

モデルから俳優のほうに仕事の比重を大きく変えて、今まで積んできたモデルとしてのキャリアではなく舞台俳優の方向にシフトして、あの紫吹蘭が悩まないわけがないと思うんですけど。

特に私は個人的に、蘭が悩みながら自分のキャリアを模索する姿に、共感を抱いたりリアリティを感じたりしていたので「そんなにあっさり役者として成長するんかい?」と、思ってしまいました。

 

他のキャラの描かれ方も、軽かった。
ワイン飲ませて絡み酒させておけばユリカっぽいだろうとか、パラシュート降下させて海鮮物を持たせておけばかえでっぽいだろうとか…適当すぎません?

 

まぁ、劇場版ですからね。10周年企画の。いちご世代に区切りを付けたい気持ちも、あるのでしょうし。

あまり濃い内容にできないのであれば、いっそのことLIVEシーンメインで応援上映に特化したような作品にしてもよかったんじゃないですか?

 

B.演出の古さについて

・キャラが大人になったことを、酒を飲ませる演出で描写する

・役者になった蘭が真っ赤なスポーツカーに乗って、舞台の稽古に通っている

いつの時代の話なんですかね?

バブル期のトレンディドラマみたいな演出に感じます。

2023年にもなって、古くさいのではないですか?

そもそもアニメ本編で蘭が乗り物好きだという設定は一度も出てこなかった。むしろ渋い物好きとして描かれていたし、そんな蘭が車に乗るとしても、真っ赤な(蘭のイメージカラーの紫色ですらない)スポーツタイプの車より、もっと実用的な車では????


A.指摘のキャラの薄さの指摘にも繋がりますけど、えびポンを車にぶら下げておけば蘭っぽくてOKだとでも思ったのでしょうか……?

百歩譲ってアイカツにリアリティを求めてはいけないのだとしても、せめてキャラの整合性はもう少し取っていただきたいなと思いました。

気候正義の観点から富裕層のプライベートジェット機使用が問題視されたり、あるいは動物倫理の観点から動物食が見直される昨今、アメリカ育ちのかえでがプライベートジェットを使ったり、鍋に容赦なく動物性食材をぶち込んだりする描写も古くさい。

10年前の、アニメ本編放映当時ならともかくね…って感じです。

アイカツ10周年企画ということで、劇場にはアイカツを観て育ったのだろうな、という観客の姿も、パッと見では多かったです。

ここは思いきって、アイカツを観て育ったような世代に脚本や監督を任せてみてもよかったのではないでしょうか?

 

C.ジェンダーとかセクシュアリティとか性暴力に関する意識の低さ

これね…。もともと「女児向けアニメ」でしょ? 女性ファンも多いでしょ?

それなのにジェンダーとかセクシュアリティとか、何より性暴力に関する認識がダメダメだと思いました。

 

まず、酔っ払ったユリカをかえでが送っていくシーン。

「まずはユリカ、そしてらいち、最後に私」とかえでが言うことで、かえでとユリカが親密な関係だということを否定している。

これアニメ本編でも散々あった、「百合っぽいことを匂わせておくけど、公式では否定しますよ」という、クィアベイティングですね。

10周年なんだし、かえでとユリカが付き合うくらいしてもいいんじゃないかと思うわけですが、そういうことはしないわけです。

これは中立を装っているのではなく、はっきりとした同性愛蔑視です。

キャラ同士で百合を連想されたくないのであれば、最初から親密さを描かなければいいのに、恋愛感情があるようにも描きながらも公式ではやんわりと否定する、という非常に残酷なやり方です
(ちなみに同じSUNRISE製作、アイドルもので女性キャラがたくさん出てくるという共通点のあるアニメ『ラブライブ!』も、女性同性愛や百合に関して、シリーズ通して同じように残酷な描き方でした)

 

次に、蘭の舞台を演出していたナニガワ先生。

蘭が高名な演出家のナニガワ先生の舞台に演出しているんですけど、そのナニガワ先生が年配の男性で、しかも蘭のことを「蘭」って呼び捨てにする描写がありましたーーダメです。

世界的に見ても、近年 metoo運動が盛んになりました。

業界で有名な男性映画監督やプロデューサーが「役をあげる」といった口実で、若手の女性俳優に性行為を強要する事件が相次いで報道されました。

ナニガワ先生と紫吹蘭もその構図に当てはまり得る、のですが。

しかも何故か蘭のことを「紫吹」とかでなく「蘭」って呼び捨てに(その演出家は役者のことをそう呼ぶ、とかそういった説明もなしに)するのが気持ち悪いな、と思いました。

てかアイカツでは、登場人物が実力ややる気を認めてもらう相手のデザイナーさんを女性やクィアっぽい人で描いてきたのですから(子どもが大人にジャッジされるという構図自体が暴力的なものですし、同性間でも権力勾配によって性暴力が起こることは、ジャニー喜多川氏の例でも明らかなことですが

 

ナニガワ先生も、女性やクィアとして表象するのではダメだったのか…。

あれだけ話題にもなった metooと同じような構図になってしまっていることを、誰かどうにかできなかったものなのか…。

 

音楽を担当していたMONACA田中秀和氏による性暴力加害事件を受けてなお、アイカツ制作陣の性暴力に関する認識が甘いのでは、と指摘せざるを得ません。

LIVEや映画で氏の担当した楽曲を流さないのはもちろんのこと、映画で曲のタイトルに言及したり、写したりするべきではなかったと思います。

何より、公式がきちんと「性暴力は許さない」というステートメントを、もっと分かりやすい形で、ありとあらゆるところで掲げなければならないと思います。

自分たちが楽曲の製作を依頼して、その楽曲のヒットもあっての今のアイカツ人気なわけですから、もっときちんと分かりやすい形で性暴力に反対するのが誠実な態度というものではないでしょうか。

アイカツはアニメ本編においても、ジェンダーや家族間に保守的な描写が目立ちます。

そのことへの言及は、また機会があれば書きたいと思っています。

 

【2023.05.09 追記】

ちなみに、日本の芸能界・演劇界でのセクハラ、パワハラについて調べてみると、「演劇•映面•芸能界のセクハラ・パワハラをなくす会」という団体がヒットするかもしれません。

この団体の代表である知乃という人が、Twitterで全く無関係な個人に対して陰湿な嫌がらせをしていたことを、注意喚起として書いておきますね。

当時の様子をまとめたTogetterは今は非公開になっているようですが、いちおうリンクを貼っておきます

当時、Twitterで理不尽な攻撃を受けていた被害者のかたがたに連帯を示す「#カワダさんとAliceさんに連帯します」というタグも作られました。このハッシュタグは今でも有効ですのでTwitterで検索してみると、知乃氏が個人に対してどのような攻撃をしていたか、一端が分かるかと思います。

 

『夢の国から目覚めても』読後すぐの、ざっくりとした感想。

読みました。

bookclub.kodansha.co.jp

 

【総評】

「百合作品は誰のためのものか」という問いかけに対する答えが良かったと思う。

「あー、あるあるだよね」というリアリティのある描写も多かった。

ただ、バイナリーでシスジェンダー中心主義っぽいところは気になったかな。

 

 

【細かい描写で気になったところ】

いっぽうで、ヘテロ女性視点で女性と付き合うことを「男性との付き合いと違う」と語る時に、身体性を中心に描くことは、手垢の付いたシスセクシズム表現だとも思います。
古くは、中山可穂の作品とかでよく出てくる感じの(中山可穂の作品でこの手のことを語る人物は、ヘテロだったりバイだったりするけど)

 

 

男性に襲われるのではないかという不安を「精液をかけられる」と描写することにはリアリティもあるものの、こういった表現はトランス差別の文脈で’犬笛’ 的にも使われるので危ういな、とも思いました。

女性同士の世界を、男性によって乱暴に破壊されるのではないかという不安は、リアルなものだと思います。それは私も抱いてる不安の一つです。

でも、それって男性の身体云々よりも、男性の暴力が正当なものとして扱われてしまう社会が怖いんですよね。

男性の暴力支配を、「男性の身体がそうだから」という理由で正当化してしまう社会が怖い。

力が強い者が上だとされる社会で、男性より力で劣っているとされる女性が、暴力を受けることは「当たり前」で、男性が女性に暴力を振るうか/振るわないかは、男性の機嫌次第みたいな風潮が怖い。

暴力を振るわないなんて、当たり前のことなのに。

男性を怖いと思う気持ちも、本質的なものではなくて、社会的に構築されている部分が大きいと思います。
(「男は加害性を持つ生き物だ」とか「女は男には絶対に力では敵わない」といった言説は、男性の暴力支配を正当化する言説だと思います)

だから、男性からの暴力を脅威だと描く際に「精液をかけられる」云々は、ちょっと違うかな、と思いました。

 

他の部分では共感するところも多く、すぐ読み終えてしまいました。
「百合を描く人」をメタ的に可視化したところが、意欲的だと思います。

私は言語化するのに時間がかかるほうなので、読後すぐの感想はここまで。

また思うところがあったら、都度更新する予定です。

 

 

ベトナム映画『ハイ・フォン』感想 *ネタバレあり*

(以前にMediumにアップした記事を少し手直しして、こちらに転載しています。
元記事:

映画『ハイ・フォン』感想 *ネタバレあり* - りんご - Medium

女性が活躍する、痛快なアクション映画です。
このヒロインは、怯まず進む。そこが良かった。
かっこいい。

ヒロインの女性には子どもがいるのですが、その子どもの父親が回想シーンに殆ど出てこなかったことも好感が持てる。
ラストに男性刑事がアシスト役で登場するのですが、その刑事と発展しない ところが、ありがちな異性愛規範や恋愛主義に回収されていないので良いと思いました。

銃器を使わないアクションシーンでは、男性の手を借りずとも女性が上手くアクションを立ち回るというのがよかった。

アクションシーンで女性が足手まといになったり、結局は男性に助けられる映画、嫌というほど見せられていますからね。「しょせん女は力では男には敵わないんだ」という、男性の暴力支配を正当化するようなメッセージになってしまう。


アクションシーンが良かっただけに、終盤、男性刑事が銃で撃つのは残念な展開だったかな。「男の手を借りる」構図になってしまうので。
だから、刑事も女性であればよかった。
そうすれば、バディものみたいなシスターフッドが描けただろうし。

その点、中盤に出てくる女性看護師は良かった。スクーターでヒロインを送迎し、最後いい顔で見送るというナイスなポジション。

ちょっとした助け合いや、カッコいいアシストをすることすら、男性特有の事象にされてしまいがち。従来の映画では「女性同士」では、なかなか描かれていない関係性だと思った。

ラスボスが女性なのも良かった。ボス、強すぎ。かっこいい。

主人公が、子どもを信じてあげなかったことをきちんと謝罪するシーンも良きです。これ大事なこと。

ただ、やっぱり女性は母性でないと強くなれないのかな、とか思わせてしまう内容。

でも総じて良く出来ていて、わりと気軽に、楽しみながら観られる映画だと思います。
オススメ。

肩こりが酷い

めちゃくちゃ肩こりが酷い。
ずっと一日中PCで作業をしていたため、張って、凝って、仕方ない。

肩こりが酷いときは、霊が肩に乗っていると言う話は、2ちゃんねるのオカルト板でも定番だった。

肩こりという幽霊はいるのだろうか。
そういえば先日、霊障を治してくれるという整骨院を、たまたまWEB上で見つけたのだった。

なぜ整骨院霊障が結びつくのかサッパリ分からなかったが、そういうことなのかもしれない。